スペシャルインタビュー 相田翔子さん
撮影/篠塚ようこ スタイリング/金子美恵子
取材・文/中村さやか
デビュー当時から変わらない可愛らしさが魅力の相田翔子さん。
おっとりとした印象ですが、ストイックな一面も持ち合わせています。
大好きな料理の話や美と健康、メニエール病と付き合いながらの生活の他、最近よく考えるという「家族」についてもお聞きしました。
病を経験して学んだ自分のペースを大切にする生き方
アイドル時代から始めた自炊。今は食材を使い切るのが喜び
18歳で「Wink」としてデビューしてから大好きになったのが、お料理をすること。
活動を始めた翌年には仕事に通いやすい都心のマンションに引っ越して、(鈴木)早智子と同じフロアで一人暮らしを始めたんです。
仕事から帰ってきて、ぐったりした中キャベツでちょこっとスープをつくるといったことから自炊を始めて、友人たちに手料理を振る舞ううちに料理が好きになっていきました。
今も毎食の献立を考えるのが楽しくて、毎晩寝る前に3日先までのメニューをスマホにメモするのがルーティン。
それをもとに食材をまとめ買いして、「この量で5日分もつくれた!」と使い切るのが喜びです。昔はずいぶんと食材を駄目にしてしまったので、もう絶対ムダにしたくないんです。
得意料理は、私も大好きなお肉系のパパッとつくれるスタミナ料理かな。
小学5年生になる娘がどうしたら食べてくれるかを常に考えてきたので、うちの豚肉の生姜焼きはやわらかいしゃぶしゃぶ用の肉でつくるのが定番です。
料理は素敵な器を合わせると、テンションが上がりますよね。街を歩いていると、数百円で売られている江戸時代の食器などにふと出合うことがあって、自分が「わぁ」ってときめいたものを買うんです。
以前趣味で陶芸もしていたので、家には食器がたくさん。でもコロナ禍では終日家にいる家族のために、料理と後片付けで一日じゅうキッチンに立ちっぱなしで、もうどうしようとなってしまって…。
そこで、木のワンプレート皿を慌てて買いに行きました。お皿1枚で数種類のおかずやご飯が盛りつけられて、洗い物も減り、本当に助かりました。
相田翔子さんの日常のひとコマ
血圧に気をつかった食生活をして年齢にはあらがわない
50代を迎えるまでまったく気にしていなかったのですが、両親が高血圧ということもあって血管や血圧に気をつかうようになりました。
血圧を測るのが日課で、毎日カリウムを多く含むアボカドを食べ、美味しくて種類が豊富な果実酢も飲んでいます。
健康や体形を維持するために、湯船に浸かりながら足の裏から太ももの付け根までをリンパマッサージしたり、毎晩スクワットを30~50回したり…夫には早く寝なよと言われますが、自分で決めたことは譲れない性格です。
最近では時間を有効に使おうと、ソファでテレビを見ながら筋トレも。よく言われることですが、時間は自分でつくるもの。遅ればせながらそう実感しているところです。
ただ、人生にはダラダラする時間が必要なこともありますよね。自分の心や体の声に耳を傾けながら無理のない範囲で続けています。
お肌は自分の生活がストレートに出る場所ですね。一生懸命クリームを塗るだけではよくはならないかな。私には果実酢が合っていましたが、水分をたくさん取って、日光もほどよく浴びてと、自分がこれだと思うことを体の内外からしていけばいいのかなと思います。
でも、私は年齢にあらがおうとは思っていないんです。肌も年を重ねるのは当たり前。
私の周りには、朝から元気に満ち溢れている年上の方がたくさんいて、「ああなりたいな」と憧れています。
見た目ばかり気にするより、人生をアクティブに楽しみたい。今はそのための基盤づくりの時期だと思っています。
結婚生活は日々意思のすり合わせ
38歳で結婚しましたが、夫とは趣味も考え方も違って、本当に別の生き物同士。
常に意思をすり合わせる苦労の中生きている感じですが、体調を心配してくれたり、私にはない忍耐強さを持っていたりするから夫婦でいられるのかな。
感謝しているのは、義理の両親との関係づくりのこと。
義父は元代議士、義母は女優の司葉子という家系で、初めは緊張して近寄れなかったのですが、夫は頻繁に私だけを実家へあずけたんです。
荒療治でしたが、彼なりの作戦だったんですね。徐々に打ち解けて自分の意見が言えるようになり、子どもを産んでからも、いろいろと助けてもらいました。
出産は41歳のとき。最初の検診では妊娠高血圧症候群などのリスクばかりを説明されて、不安しかありませんでした。
予定日より1か月半ほど早い出産で、ドラマで見るような感動はなく、人間のすべての感情をさらけ出した大変なお産でした。
産後も、ベビーカーで公園に行くだけでも不安だらけ。子どもがワッと泣き出すと、通りすがりの主婦の方に「親が悪い」と言われてすごく傷ついたこともありました。
でもいろいろと考えるきっかけになったし、そういう経験を経て親として頼もしくなっていくんだなって。
低体重で生まれた娘もすくすくと育ち、今はサッカーに夢中。女子プロレスラーを目指していた私の活発な子ども時代とそっくりです。
私はクラッシュギャルズに憧れて、追っかけのようなことをしていたんです。試合観戦では紙テープを投げ、ハチマキもしていました(笑)。
病を抱えながらの生活で「家族」の意味を考えた
思い返せば、仕事や結婚など、何かを決断しなければいけない人生のターニングポイントで、病気を経験してきました。
ソロ活動の話が出てプレッシャーに悩んでいた25歳のときは突発性難聴に。耳鳴りと平衡感覚の異常に苦しんで、歌えなくなるかもしれないという恐怖に襲われました。
結婚時には、披露宴後の打ち上げ中に脂汗が出て、呼吸もできない状態に。緊張から解放された瞬間、体が正直に反応したんですね。メニエール病と診断され、今も完治はしていません。
日々のストレスと上手に付き合っていくことが大事だと言われる病気です。
慌ただしい一日に疲れたとき、私は食器を洗いながら心をリセットするんです。汚れが落ちてきれいになっていく様子を無心で眺めるのが、精神衛生上いいのかな。
そして「ごめん! 休ませて!」と家族に伝え、一度日常からスパンと離れて自分の時間を持たせてもらうんです。以前は私がやらなきゃと無理をしがちでしたが、ようやくそれができるようになったかな。
最近すごく思うんです、「家族」って何だろうって。子どもの頃、家族は何でも話せて一緒に解決できるものだと思っていました。
でも思い返せば、母は周りに心配をかけないように、具合が悪いときでも隠して家事を頑張っていました。その気づかいが、家族を遠慮させてしまっていたのかなと、大人になって感じますね。
今、娘には「親には心配くらいかけていいんだよ」と伝えるようにしています。
大人になるにつれ、いろいろなことを抱え込みがちですが、私は病気のことも周りにさらけ出しています。そうすると、意外と身近に仲間を見つけられたり、いい情報をもらえたりするんです。
病気だけでなく、もし何か悩みを持つ方がいたら、どうか周りに頼ってみてください。一緒に気持ちをラクにして過ごしていきましょう。
本人直筆
カラーペンで力強く書かれたそのストイックな言葉が、もう神々しくて。不安でいっぱいでしたが、しっかり努力を積み重ねていけば、いつか「栄光」と思えるものに出合えるのかなって。
今もずっと大事にしている、生涯のテーマです。
\相田翔子さんがソロライブを開催します/
Shoko Aida Live at COTTON CLUB 2022 〜 with love 〜 produced by Jiro Yoshida
日程 |
7月17日(日) |
会場 |
COTTON CLUB(東京・丸の内) |
URL |
詳細はCOTTON CLUB公式HPにて
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ワンピース (So close,/DINOS CORPORATION 0120-343-774) ピアス (NATURALI JEWELRY/NATURALI JEWELRY新宿髙島屋店 03-3351-5107)
相田 翔子さん
あいだ・しょうこ●1970年生まれ。歌手、女優。1988年に鈴木早智子とのアイドルデュオ「Wink」でデビュー。多くのヒット曲をリリースし、1989年には「淋しい熱帯魚」で日本レコード大賞を受賞。1996年からはソロ活動を始め、歌だけでなくテレビや舞台、映画など多方面に活躍の場を広げている。