食べることは生きること。五十嵐純子さん【輝く人のON/OFF】
撮影/楠 聖子 取材・文/新里陽子
料理家
五十嵐純子さん
いがらし・じゅんこ●茨城県生まれ。cocconeの台所代表として、料理教室・ケータリングを手がける。長女と障害を持つ次女、夫の4人暮らし。闘病中の子どもたちに本物のアートを届ける「NPO法人スマイリングホスピタルジャパン」の地区コーディネーター。
https://salotto.exblog.jp
料理家としてケータリングなどを手がけながら、闘病中の子どもたちとアートを結び付ける役割も担う五十嵐純子さんの、社会的な「ON」とプライベートな「OFF」、2つのスイッチを探りました。ONもOFFもメインの場は自宅という五十嵐さんから、学ぶことがたくさんありました。
商売を営む実家の手伝いを経て調理師免許を取得。結婚して義父・夫と3人の生活に
大きな窓から光が差し込み、隣に広がる芝生がまるで海外の田園風景のような五十嵐さん宅のリビング。取材に訪れた日は、テーブルにたくさんの材料を広げ、レシピ開発に挑む五十嵐さんの姿が。すぐそばにある白い大きなベッドには、15歳になる重度の脳性麻痺の娘さんが、この日は学校がお休みでくつろいでいました。
商店会の精肉店の次女として生まれた五十嵐さん。手づくりお弁当を売る忙しさから、物心ついた頃には家業を手伝っていたと言います。高校卒業後社会人に、その傍らで「やはり食のプロになりたい」という気持ちが後押しして、調理師免許の取得に挑み見事合格。
「夢は東京・代官山のカフェで働くと決めていて、面接日も決定していました」。しかし当時お付き合いしていた夫の実母が若くして急死。憔悴しきっていた義理の父と夫の力になりたいと同居と結婚を決意し、23歳から専業主婦の道を歩み出します。「社交的な亡き義母にお線香をと訪れてくださる方も絶えず、お話を聞かせていただく貴重な時間でした」。
長女妊娠時に自身のがんが発覚。次女の誕生で生きる意味を考える。
3年後に長女を妊娠。同時に初期の子宮頸がんとの診察が。妊娠8か月のときには「出産できますよ、がんは進行していません」と言われ、胸をなでおろします。無事長女を出産した3か月後にがんの摘出手術をし、子宮口にメスを入れました。
その後再発の兆候もなかった五十嵐さんは2人目を妊娠します。
「妊娠5か月で破水をし、流産をしかけました。2か月後に生まれた次女は1169gでNICUへ。さまざまな検査を経て、重度の脳性麻痺と診断。塞ぎ込んでいた期間もありましたが、小さな体で命と戦っている娘が少しずつ成長する姿が愛おしく、家族との生活を楽しくしたいと思ったのです。そのために、よりよく生きるとはどんなことか、自問自答していた時期でもありました」。
温厚な夫と大切な娘たち。長女妊娠時に初期の子宮頸がんがわかり、出産後3か月で円錐切除。年子で出産した、脳性麻痺のPVL(脳室周囲白質軟化症)と難治性てんかん(ウエスト症候群)の次女
長女が病気になり療養食に奮闘。実父とキッチンに立ち「料理は学び」を痛感
チャーミングで家族みんなを楽しい気持ちにさせる次女、家族思いの長女、大きく包んでくれる夫と4人での暮らしが続く中、五十嵐さんにとって食を考えるきっかけになったのが長女が小6のときのこと。
「バレエコンクール前で毎日教室との行き帰りを続けていた中、突然首が痛いと。最初原因がわからず、自宅で熱にうなされながらの2か月を過ごしました。しだいに座って食事することが困難に。せめて食事はラクに食べられるものをと栄養と食べやすさを考えて腕を振るいました。「このときに食べることは生きること。そして、食べる人を思いながらつくることの大切を感じました」。
同じ頃、実家の父もがんを患い入院手術。退院後は五十嵐さん宅で療養することに。
「キッチンに立つ体力を失ってしまった父が、ベンチタイム(休み)を挟むパンづくりを始めました。これが心も体も少しずつ回復していくよいプロセスになったようです。休む暇なく働いてきた父でしたが、ゆっくりとした時間を食と向き合いながら療養してくれました」。父はその後パンはもちろんのこと、肉さばきの仕方も教えてくれ、私自身が料理の腕を磨く時間にもなりました。
実家の商売の手伝いと調理師免許取得で培った知識と腕で、自宅で友人たちにふるまう料理が「おしゃれで美味しくて幸せ」と口コミで広まり、地域・自宅を中心に料理教室を開催するように。
娘たちは大きくなり、2人とも高校生に。昨年コロナ禍の中の次女の入学時は、次女の車椅子に自作のフェイスシールドならぬ車椅子シールドをつけて記念撮影。満開のサクラの花びらのように、五十嵐さんの心も喜びでいっぱいに。
「美味しいね」の言葉が何よりうれしい
コロナ禍でイベントなどは減りましたが、ケータリングのレシピやつくってみたい料理にチャレンジする毎日だそう。五十嵐さんの料理は、味はもちろんのこと、何よりも心のこもったおもてなしの評判が地域の人たちを中心に届いています。「美味しいねという言葉が何よりの宝物です。褒められるっていくつになってもうれしいんですよね」とチャーミングに笑います。コロナ禍をきっかけに、軽い気持ちで始めた画面越しの次女と一緒の料理動画にも大きな発見が。「遠くにいても見てくださるし、見てくださった方からのお知恵もいただけるので、そのやりとりが楽しいです」。
同じ頃、実家の父もがんを患い入院手術。退院後は五十嵐さん宅で療養することに。
「キッチンに立つ体力を失ってしまった父が、ベンチタイム(休み)を挟むパンづくりを始めました。これが心も体も少しずつ回復していくよいプロセスになったようです。休む暇なく働いてきた父でしたが、ゆっくりとした時間を食と向き合いながら療養してくれました」。父はその後パンはもちろんのこと、肉さばきの仕方も教えてくれ、私自身が料理の腕を磨く時間にもなりました。
料理教室はオンラインにチェンジ。次女とともに画面に出て、手際よくつくる様子にファンも多数。
五十嵐さんの手掛けるケータリングは、素材や美味しさだけでなく、そのビジュアルも評判。
夢だった誰もが着やすい前開き肌着が実現!
五十嵐さんのもうひとつのONは、次女の通う大学病院の保護者との会。自身も地域コーディネーターとしてアートと闘病中の子どもたちをつなぐ立場でもありますが、保護者の会ではまとめ役を担当。アグレッシブな姿を見た病院側からのオファーもあり、母親たちの相談役も引き受けています。「情報が少なく、育児書のない子育て。お母さん同士のおしゃべりが、一番の情報源であり心が元気になるんです」。
そのおしゃべり会で、「体の自由が効かないから前開きの下着がよいけれど、大きくなるとサイズがなくなっちゃうね」という話題が。どこかメーカーに希望を出そうと思っていたところ、ユニクロがSNSで体の不自由な人の服についてのアンケートを募っているのを見つけます。回答した友人が事情で参加できなかった本社での座談会に、ピンチヒッターとして五十嵐さんが子どもたちと参加。今まで待ち望んでいたことを伝え、仲間とモニターも引き受けました。
「メーカーに求めたのは、誰もが買える価格であることと、着やすく、着せやすいものであること。結果、それらの願いを叶えてくれました。感動したのは社員さんが私たちの声を細かに聞いてくれる姿勢でした」。こうしてでき上がった肌着は、オンラインや店舗で、豊富なサイズ展開で販売されています。「とても大きな出来事でした。次女も毎日着ています。価格も手頃なので多くの人たちが喜んでくれていると思います」。
商品開発の座談会・モニターに参加した結果完成したユニクロの前開き下着。
左:かつお節削りとヨーグルトメーカー
「昔ながらのものと最新の調理器具。どちらも料理が楽しくなります」
右:亡き義母のアルミ鍋
「結婚前からあり私の先輩です。大切に使っています」
左:バリアフリーの家
仕事場でもある我が家。玄関もバリアフリーでフラットに。
右:講演会に登壇することも
生き様・考え方を話す場も増え、手づくりした資料のスライド。
長い時間過ごす自宅は自分にとって一番ここちいい
車椅子の次女も、一緒に過ごす家族も快適な空間にと10年前に建てた五十嵐さんのお宅は、段差もほぼないバリアフリーの平屋。「季節ごとにインテリアを変えます。庭の植物でリースをつくったり、料理教室やワークショップの際に飾るテーブルフラワーをつくったり。絵やイラストを描くこともあります」。部屋のいたるところに雑貨が置かれ、まるでおもちゃ箱のような雰囲気も。「掃除はしますが、きれいに片づいているよりほどよく散らかっているのが落ち着くし、自分らしいです」と笑います。
先日、大きなチャレンジの場が。「次女に車椅子に乗ってのファッションショー出演の依頼がきたのです。私は車椅子のリメイクをさせていただいたのですが、デザイナーさんと一緒に、どうしたら次女がカッコよく、かわいくなるか考えるのが楽しくて。また、今回の体験をもとに、医療や福祉の世界で薬や治療では癒やせない部分に、ファッションやアートを取り込んでいけたらと思っています」。
メディアアーティスト、研究者、筑波大学准教授の落合陽一氏が手がける「True Colors FASHION 身体の多様性を未来に放つダイバーシティ・ファッションショー」へのモデルのオファーが。アートに造詣の深い五十嵐さんがデコレーションした車椅子で舞台に。
https://truecolorsfestival.com/jp/
左上:長女へぬいぐるみ、次女に靴下
出産時に手づくりした、娘たちへの最初のプレゼント。
右上:ひそかな楽しみ
毎日1本映画を観るのが日課。「昭和映画にドはまり中です」
下:車椅子アート
次女の車椅子をショー用にデコ。服のモチーフやロゴでおしゃれに!
インタビュー*編集後記*
マットなゴールドカラーのボブがよく似合う五十嵐さん。おしゃれな装いもさることながら、屈託なく笑うその姿にこちらも自然と笑顔になります。「料理の腕は5段階評価で1、人との関わりは3かな…いろいろとまだまだです」と謙遜する彼女。大勢のファンがいるのも納得です。今だからこそ、人と関わることの尊さも五十嵐さんとのお話の中で感じました。