【インタビュー】准看護師・女優 北原佐和子さん|ケアと人
准看護師として認知症医療に携わる北原佐和子さん。女優を続けながら介護の仕事にも魅せられ、ヘルパー2級をスタートに複数の資格を取得しケアを実践しています。出会いとタイミングによって思いもよらないキャリアを選択したという北原さんの人生をひもといてみました。
撮影/佐々木美佳 取材・文/高山真由子(保健師・看護師)
介護の世界へと導いた2つの原体験
16歳でモデルとして、18歳からアイドル歌手として、21歳頃からは女優として生きてきました。仕事の特性上、数か月間は忙しくて寝る間もない日々かと思うとピタッと仕事が止まり、そんな状況が私にとって大きなストレスとなっていたんです。その時間を活用して自分磨きにつながることが何かできないかと、日本舞踊や乗馬などさまざまな習い事をしましたが、ぽっかり開いた心の穴が満たされることはありませんでした。30歳を過ぎた頃、これまでの私自身を振り返りその理由をたどったところ、いくつかの出来事が思い出されました。
子どもの頃、父を迎えに行った駅で見かけた、困っている高齢の方や視覚障がい者の方たちに声をかけられなかった勇気のない私。そして20代の頃、大雨の中、偶然出会った四肢麻痺の方の、どんな状況であろうとも自分の足で立って生きていくというたくましい姿でした。
一方で、10代の頃から大人たちにお膳立てされた環境で仕事をしてきていた私は、これからは自分の足でしっかりと立って生きていかなければと感じていたのです。そうしてたどり着いた「福祉に携わりたい」という思いを胸に、ヘルパー2級の資格を取りました。
利用者さんの変化で知った介護の楽しさと奥深さ
最初に勤務したのは、認知症の方も利用する一軒家を改装した小さな高齢者施設。しかし、認知症ケアの経験はなく知識も十分ではなかった私はどうすればいいのかわからず、利用者さんと接することに戸惑いを感じていました。
ある難病の男性利用者さんとは、そのぶっきらぼうなもの言いから、コミュニケーションのきっかけをつかめずにいました。しかし、レクリエーションの時間にその利用者さんの好きな歌を他の方たちが歌ったところ、彼も一緒に歌って涙を流したんです。私の中にあった「怖い人」という印象とはかけ離れた一面を垣間見て、利用者さん一人ひとりが生きてきた軌跡を知りたいと思うようになり、介入するほど人となりが見えてくることが喜びにつながっていきました。これは女優として感受性を豊かに持ち、人の心情を深く考えながら行動してきたことが関係していたのかもしれません。また、女優の仕事で抱いた、一つの作品に時間をかけてチームでつくり上げていく充実感が、介護の仕事で得られるやりがいと同じだと気付き、介護と女優、2つの共通点を見出すことにもつながりました。
数か月後、その方が特養に入所することになりしばらくして面会に行ったところ、それまでとは別人のようにイキイキとした表情をしてフロアを歩いていました。その姿を見て、彼の居場所は私が勤務する狭い施設ではなくここなのだとわかり、たくさんの施設からいかにその方に合った場所をみつけることが重要だと気付かされました。自分の視野の狭さを痛感したと同時に、介護の仕事に充実感を覚えるきっかけにもなった印象的な出会いでした。
そして、ヘルパー2級の先に広がる介護福祉士や社会福祉士などのキャリアがある中、研修で出会ったケアマネジャーの方が言った「これまで利用者さんのことを正面から見ていなかった」という言葉の意味を知りたくなり、ケアマネに関心が向きました。
2年かかってケアマネジャーの資格を取得。その後の研修で多職種連携を学んだ時、医療についての連携のイメージがなかなかつきませんでした。そこで実際の現場を見てみようと、訪問診療をしている医師に同行させてもらうことにしたんです。その時に医師から「医療のことを知るために准看護学校に行ってみては?」とアドバイスをもらい、学校に飛び込んでみようと決意しました。
入試まで半年もありませんでしたが、やれるだけのことはやろうという気持ちで集中して勉強しました。
クリニックはユニフォームがないため、私服で対応している。女優で培ったセンスが北原さんの私服には現れている。
多職種連携を実践するために求めたのは医療の理解
2年かかってケアマネジャーの資格を取得。その後の研修で多職種連携を学んだ時、医療についての連携のイメージがなかなかつきませんでした。そこで実際の現場を見てみようと、訪問診療をしている医師に同行させてもらうことにしたんです。その時に医師から「医療のことを知るために准看護学校に行ってみては?」とアドバイスをもらい、学校に飛び込んでみようと決意しました。
入試まで半年もありませんでしたが、やれるだけのことはやろうという気持ちで集中して勉強しました。
グループの絆と柔軟性で乗り越えた看護学生生活
無事合格しスタートした学生生活でしたが、月曜日から土曜日まで授業・実習・宿題・テストと盛りだくさんな日々…。さらに仕事もあり想像以上に大変な毎日…。さすがに2年時には学業優先の生活に切り替えました。仕事柄、人前で話すことは得意のはずが、ナースステーションで看護師さんを前に緊張してうまく話せなかったり、厳しいルールや規律に戸惑うなどありましたが、実習グループみんなで支え合い乗り越えることができました。
一方で、実習中の患者さんとのコミュニケーションは自信を持って臨めたり、ベッド上で洗髪する際の物品が病棟になかった時に代案を提案して臨機応変に対応するなど、社会経験があったからこその柔軟性を発揮できたように思います。
コンシェルジュとして認知症ケアに携わる
卒業後は老健などの勤務を経て、1年前からのぞみメモリークリニックで勤務しています。当院では職種関係なくスタッフみんなが受診者の方の「コンシェルジュ」としての役割を持っており、受診者の方が来院したら受付から検査のほか、関係各所との連携までを担い、個別性を重視した診療体制をとっています。対話しながら深く関われるこのシステムに共感し、失敗しながらも一つひとつ経験値を積み重ねているところです。
認知症に対するネガティブなイメージが先行する中で「認知症」と診断された受診者の方は、時に戸惑いや絶望を感じ何ともいえない表情をされます。診察室で同席している私たちが、彼らに声をかけ、ともに考えるためには、引き出しを多く持ち対応することが必要だと感じています。これは女優業でも学んできたことで、ここにも両者に共通点があるのだと気付きました。正解のない問いと向き合い、どのような状況下であっても受診者の方に光を照らしていけるようになりたいですね。
診療以外にも、認知症の当事者の方たちを招いた勉強会やピアサポートなど、地域とのつながりを強化しており、ここにも積極的に関わり学びを深めていきたいと思っています。受診者の方から相談された時に、フォーマル・インフォーマルを含めその方に合ったサポートを提案できるようアンテナを張り、人脈を広げていきたいですね。
縁とタイミングが紡いでいく未来
遅いスタートではありましたが、いま介護の世界に足を踏み入れ、ご縁がつながって准看護師として働いていることは10代の頃には想像もつかなかったことです。実は両親から「将来の仕事は看護師・体育教師・警官の中から選びなさい」と言われて育ちました。その期待に反して10代で芸能界に入ったことで心配は尽きなかったと思いますが、遅ればせながら准看護師として働いている姿を見せられてようやく安心してもらえたのではないでしょうか。
年齢を重ねたことで文字が見えにくかったりPCの操作に苦労したり…と大変な部分もありますが、若い頃には考えもしなかった医療の世界にたどり着いたことに喜びを感じ、「人生はタイミング」を実感しながら今後も挑み続けていきます。
北原さんのバッグの中身
【バッグ】
持ち物がたくさんあるため、たくさんのものを入れられる大きめのバッグを愛用している。
【和田医師の書籍】
和田行男医師の書籍は認知症の方との関わり方を教えてくれる愛読書。
【リップ】
コロナ禍のマスク生活で唇のあれが気になるようになったため、リップで予防。
【当事者たちの書籍】
認知症の当事者たちの書籍は彼らが何を考えているのかを知ることができる。
【ポシェット】
私服で仕事をすることから、その日の服装に合わせてポシェットを選ぶ。
【脳画像ノート】
MRIの画像を読み解く力も求められるため、参考書は欠かせない。
【学習ノートとメモ】
覚える仕事内容は膨大。この1年でメモ帳がふくれるほど書き込んだ。
【マスク】
マスクも複数のカラーやデザインを持ち歩き、その日の服装に合わせて選ぶ。
【シニアグラス(老眼鏡)】
細かい文字を読む機会が多い仕事中はシニアグラスが欠かせない。