スペシャルインタビュー 高橋惠子さん
撮影/神尾典行 取材/中村さやか
女優として半世紀以上のキャリアを重ねてきた高橋惠子さん。
いつまでも変わらない楚々とした姿が印象的です。プライベートでも新しいことに挑戦するなど、思考は常にポジティブ。
大好きな着物への思いや、固定観念にとらわれない生き方について伺いました。
もっとワクワクすることを。若い頃の憧れを叶える
15歳でデビューしてから52年もたったなんて、信じられないですね。還暦を過ぎたあたりからは、自分らしくというか、もっとワクワクすることに取り組んでもいいんじゃないかという気持ちが強くなりました。
コロナ禍でプライベートの時間が増えたので、一昨年の春から1年間、アテネフランセという老舗のフランス語学校に通ったんです。若い頃からフランス文学が好きで、フランソワーズ・サガンやマルグリット・デュラスの小説を読んでいました。
実は17歳のとき、同じ学校に通ったことがあるんです。高校に行かずに女優に専念したので、なにより学校というものへの憧れが強かったんですね。
でも、仕事の忙しさに5日で断念。最近になって学校の前を偶然通りかかることが重なり、これもご縁と、この歳で改めて通い始めました。
同年代や若い友人ができて、クラスメートとしてわからない部分を教えてくれる。今まで仕事外でそういった付き合いがなかったので、楽しいものでした。
今の目標は、70歳までにフランス語をちょっと話せて書けるようになること。あと3年しかありませんね(笑)。
更年期障害はあっという間。怖がらなくてもいい
48歳のときに更年期障害を経験してからは、食事・運動・睡眠に、より気をつかうようになりました。
ホルモンの働きってすごいんですね。理由もないのに気分が沈み、気持ちが晴れない時期が2年間。急に人に会うのが面倒になるので、友人と食事の約束をする自信もなくなってしまったんです。
もともとあった子宮筋腫を大きくしてしまわないように漢方薬での治療を選択して、仕事を続けながら通院しました。2年間は長いようで、振り返ればあっという間。女性にはそういう時期がありますが、必ず過ぎ去っていくものなので怖がらなくてもいいんです。
体が欲しなくなったので今は食事を一日3食から2食にしていますが、栄養バランスが偏らないようにさまざまな食材を食べることを心掛けています。
昔からきのこ類はよく食べていますね。亡き母と同居していた頃は、よく食事をつくってくれました。いつも手づくりのものが並び、とても恵まれていたなと思います。
母の得意料理は煮ものやホウレンソウの和えものといった家庭の味でしたが、すごく美味しかった。うちのきんぴらごぼうには鶏の皮を入れるんですよ。いいコクが出るんです。
運動面で気をつけているのは、できるだけ歩くこと。いくつになっても運動すれば、筋肉はちゃんとつくんですね。駅までの約20分の道のりを歩き、電車で現場に行くことも多いです。
あとは自宅や楽屋でのストレッチ(※)が日課。体を柔らかく保つと、心も軽やかになって滞りません。伸ばすと体が気持ちいいなとか、温まるなと感じる動きを取り入れています。
睡眠で大事なのは、いい気分で寝ることです。失敗したりイヤなことが起きたり、日々いろいろなことがありますよね。それを「これから先の成功のもと」だと頭の中でプラスに書き換えてから眠るんです。心の持ちようで、思ったよりも簡単にできるんですよ。
着物は内面を見つめさせるもの。奥ゆかしさの原点
仕事で着る機会も多く、着物は私にとって身近なものです。
でもデビュー間もない頃に着物姿で取材を受けた際、カメラマンから面と向かって「着物の似合わない女優だね」と言われたんです。当時は着慣れていなかったので確かに事実なのですが、とても悔しくて。いつか着物の似合う女優になるぞって心に決めました。
それからは雑誌で着物の連載をさせていただいたり、時代劇に出演したり、多くの着物を着せてもらいました。
やっぱりいい着物というのは、着た感じでちゃんとわかるんですね。肌にすっと付いてくる感覚があるんです。
着物は体に巻き付けるように着るでしょう。外に対して自分をよく見せようというより、内へ内へと気持ちが向かい、自分の内面を見つめるような心地になります。
日本語には「奥ゆかしい」という言葉がありますが、着物を着たときの感覚とつながっている気がします。これは不思議なことですが、着慣れさえすれば着物が似合わない人はいないんです。
せっかく日本人に生まれたのですから、多くの方に着ていただきたいですね。この文化をなくしてしまうのはもったいない。着付けもお手入れも、もう少し簡単にできる着物を考案したいなと思っているくらいです。
植物のように変わる家族のかたち。「今」からどれだけ学べるか
結婚後、東京の郊外に100坪の土地を購入して2階建て9LDKの家を建て、30年ほど住んでいます。
一番多いときは4世代での生活で、母と私たち夫婦、娘家族の計9人、さらに犬3匹、猫11匹、カメ1匹。にぎやかですよね。
食事は流動的で、一緒にとるときもあれば個人で済ませることも。娘家族のことには立ち入り過ぎないのも、同居生活には大事でしょうね。
一番上は80代、下は幼児なので、それぞれに物の感じ方やエネルギーが違います。その差や、互いに補い合う姿を目の当たりにできたのはよい経験でした。
でも、植物が芽を出して花を咲かせ、枯れて種を残すように、家族も年月とともに形が変わっていくもの。今ある状態の中からどれだけ学び、自分自身を成長させられるかが大事だと感じました。
母が旅立ち、娘家族も家を出て、夫婦二人暮らしとなった今は、これからの人生をどう悔いなく生きていくかを改めて考えているところです。
次の自分へ進むため執着やしがらみを捨てた
実は3年前に家を手放そうとして、一度住まいを移しました。でも30年の間に立派に育った庭のしだれ梅を切ることに胸が痛んで、買い手がつく前に夫婦で戻りました。
このときに、今後必要なもの以外はどんどん捨てました。断捨離ですね。自分がこれからやりたいことをするために執着やしがらみを捨て、トランク一つでどこへでもというくらい身軽になりたいと思って。
本当に申し訳ない話ですが、いただいた映画の受賞トロフィーもしっかりと心に刻んでから処分しました。
生き生きとした人生のための断捨離。やってみると実際に心が軽くなるものです。
物を大事にするのはとてもいいことですが、役目を終えたもの、自分にとって必要がないことってあると思うんですね。
人との関係もそうです。私は仕事柄、出会って別れての繰り返し。作品ごとに集まっては解散するので、最後は別れなければいけないという意識があるんです。
つらい経験は愛を知るため。何でも乗り越えられる
「あの世に行くのは103歳」と勝手に決めています。キリのよい100という数字と、旅立つまでの余韻の3年。それにはまだちょっとあるので、断捨離はしたけれど終活は一切していないんです。
死に向かっていろいろなことを整理するよりは、90歳になっても新たなことに興味を持ち続けていたいかな。死というのは必ず訪れますし、そんなに怖いことだとは思っていないんです。肉体はなくなったとしても、魂は残ると思っています。
どんな物や名誉もあの世には持っていけないですから、この世界でどれだけ魂を磨けるかということを考えます。この世に生まれてきたことが、まずありがたい。
どんなにつらく悲しいことがあったとしても、成長するためにそれを経験したくて生きていると思えば、乗り越えられないことはないですね。
ある程度、自分の意識でポジティブに変えられるんですよ。つらさも楽しめると思えば、何も怖いものはないじゃない?
今は愛というものをもっと知りたい。自分が誰かに分け与えられるようになりたい。自分が経験してきた悲しみは、そのためにあるのだと思っています。
「年齢」を決めるのは自分。毎日違うくらいの自由さでいい
生と死の意味をテーマにした映画「カミハテ商店」(2012年)では、老けメイクを施して初老の女性を演じました。人はそれぞれ年代ごとに魅力があり、顔のシワも味だなと思ってきました。
今までは。でもここへきて、年を取りたくないなと気持ちが変わったんです。「年を重ねると老けるって誰が決めた?」という気になってきて。
細胞は一定の周期で生まれ変わるんですね。常に新しいものをとり入れて排出していると、老けることはないと私の中で結論づけました。103歳までは生きないといけないし、それまでは活気のある毎日を送りたいですから。
外見だけではなく、聴く音楽や目にする絵画など、世代に対する固定観念に逆らって生きてみようかなと思います。
実年齢はカレンダー年齢。なりたい年齢は自分で決めればいいんじゃないかな。38歳くらいにしようかなとか、今日は50代でいってみようとか、それくらい自由でいい。人に迷惑をかけませんし、そんなことを考えているなんて誰も思わないでしょうしね(笑)。
年を重ねるごとに、自分で選べる年齢の幅が増えていくんです。そうやってワクワクした生活を送ることで、細胞も活性化されるのではないかと思います。私は老けません。どんどん若返っていきますよ。
高橋 惠子さん
たかはし・けいこ●1955年生まれ。女優。1970年に映画「高校生ブルース」で主演デビュー。ドラマ「太陽にほえろ!」などに出演し、多くの舞台でも活躍。夫は映画監督の高橋伴明氏。フィリピン原産のモリンガなどの植物エキスを使ったスキンケアブランド「Ang.U(アンジ―ユー)」をプロデュース。