スペシャルインタビュー アンミカさん
撮影/神尾典行 スタイリスト/加藤万紀子
ヘア&メイク/古本和重(&’ s management)
取材・文/中村さやか
ビタミンカラーの洋服を華やかに着こなすアン ミカさん。
太陽のような笑顔が魅力的ですが、幼少期は笑うことがコンプレックスだったとか。
ポジティブの哲学、50歳の現在や美と健康について教えてもらいました。
「ネガポジ変換」で生き方をラクに工夫する
人や物事のいい面を見つけることが得意ですが、逆に言うと短所も目につきやすい性格。
頭の中でネガティブな短所をポジティブな長所に「ネガポジ変換」するようになったのは、自分がラクに生きるための工夫です。
例えば、押しが強くて苦手かもと思う相手も、「ちょっと待てよ……積極的な人なんだな」と発想を変えると、苦手ではなくなるんです。一度苦手だと思ったものは、また現れたときに恐怖心が生まれます。
すると、その時間がすごく苦く重いものになる。自分の時間がもったいないし、相手を決めつけるのは失礼ですよね。素敵な才能と魅力を持った人との出会いを遠ざけるので、世界が狭くなってしまいます。
ネガポジ変換は、人の器を大きくする「ろくろ」のようなもの。揺れて揺らいで、ぐるぐるしているうちに、あちこち苦手にぶつかって大きくなっていく。即座にネガポジ変換するように訓練したら、十人十色の個性をしっかり受け止められるようになりました。
ただ、ネガポジ変換というのはバランスが必要で、決してポジティブが絶対正義ではありません。
人というのはネガティブになることもあるし、人生なんて常に振り子ですよね。学びと発見の土壌として陰陽を交互に行き来しながら、自分の持つ軸に戻ってこられるようにと、自分の哲学としているのがネガポジ変換です。
幸せになるために起こる出来事を信頼する
私はよく、暗闇があるから光のありがたみがわかるという話をするのですが、その理由は昔、とてもネガティブな経験をしたことにあります。
幼児期に階段から落ちて、口の中を切る大ケガをしました。笑うと唇がめくれあがるし、口内は真っ黒。私が笑うと周りの子がイヤな顔をするようになり、笑えなくなってしまったんです。
脳がイヤな思い出を消したのか、小学校半ばまでの記憶はほとんどありません。化粧品会社でブライダル関係を担当していた母は、そんな当時の私に「美人っていうのはね、目鼻立ちがキレイな人だけじゃなくて、一緒にいて心地いい人なんだよ」と言って、美人になるための四つの魔法を教えてくれました。
それは「姿勢・笑顔・目線・会話術」。いつも姿勢よく笑顔を絶やさず、相手を見過ぎて威圧感を与えないように適度に目線をはずしたり、相手や場に合わせて声のトーンを変えたりすることが大事だと学ばせてくれたんです。少しずつできるようになり自信がついてきましたが、不幸が重なります。
韓国から日本に移住してきた我が家は、年子の兄弟姉妹5人がいる7人家族。
父が働くラーメン屋に住み込みする貧しい生活で、さらに1年のうちに2度も火事に巻き込まれました。首がずっと痛いと言っていた母は、咽頭がんをむち打ちと誤診された後に入退院。脳に転移して植物状態になり、莫大な医療費が発生しました。父は出稼ぎに行き、兄弟は教会などに預けられて一時はバラバラに。私は教会の神父様に、恨みつらみを全部ぶつけました。
すると「自分に起こる出来事を、まず信頼しなさい」と諭されたんです。
「すべての出来事はあなたが幸せになるために起こることで、3パターンある。自分の行いがブーメランになって返ってくること。知恵と工夫を得るために神が乗り越えられる苦労を与えること。与えた苦労に向き合うまで繰り返し見せること」
「そうか!」と思って、起こる出来事を信頼したのが、私のポジティブへの大きな一歩でした。
家計のために高校3年までの7年間、早起きして新聞配達をしましたが、周りからどんなにかわいそうに思われても、そのさざ波に耳を貸さないようにしました。
朝の余った時間に勉強して内申点が急上昇、脚が鍛えられて陸上部の成績が上がるなど、いいことづくめじゃないかって。新聞配達をすることで自分で人生の舵が取れたんです。自分の力で生きているって、すごく自信がつきました。
親への誤解が解けた祖国・韓国への留学
モデル事務所に入ったのは15歳の頃です。「手足がすらっとしているからモデルになれるかも」と言ってくれた、余命わずかな母を喜ばせたくて。なかなか芽が出なくて苦労しましたが、タイミングや人に恵まれて20代後半の頃には仕事も非常に充実していました。
でも、そんな時期に父も亡くなってしまいました。兄弟で両親のお墓を建てに韓国へ行ったのですが、私たちは日本育ち。親戚と韓国語で意思疎通ができなかったんです。
両親のルーツを正しく知り、親戚とも関係を築けるようになりたくて、韓国に1年3カ月の間、語学留学に行きました。
私は大阪府の鶴橋というコリアタウンで育ちましたが、街の雰囲気が独特なんですよ。
父が近所の人たちと地べたに座って膝を立てながらお酒を飲んで、韓国語で「ミカヤー」って、私の名前に「ヤー」を付けて呼ぶんです。それがひどく酔っぱらっているように聞こえて……。でも実はミカ「ちゃん」という意味で、親の愛情がこもった我が子への呼びかけだったということを、留学して知りました。
引っ越し祝いに、トイレットペーパーや洗剤を持って行っていたのも貧乏だからだと思っていましたが、韓国では当たり前の文化でした。スルスルと巻き取れるトイレットペーパーのように物事がうまくいくようにとか、洗剤の泡は繁栄の象徴とか、ちゃんと意味があったんです。
小さなことですが、幼い頃に恥ずかしいと思ってしまっていた親の行動の意味がわかって、とても感動しました。振り返ると、この留学は人生で一番得るものが大きかったと思います。
手に入らないものより目の前にあるものに感謝
今年、やっと50歳になったのがうれしいんです。20代からずっと黒髪ストレートヘアでこんな感じだったので、人生で初めて実年齢より若く見られています(笑)。
でも若い頃から変わらないのは、やりたいことを全部やること。習い事でも資格でも、パっと目が合ったときにワクワクするものは、わがままを言ってでもやらせてもらいます。
ここ最近は演技に興味があって、今年はミュージカルにも初挑戦します。いつもいいタイミングでチャンスがやって来る人生なんです。
「口」に「十」で「叶う」と書きますが、やりたいことを10人に言うと誰かが覚えていてくれてチャンスをいただける。そこに努力をプラスしてアンテナを張っていれば、キャッチできるんだなというのは本当に思いますね。
年齢を重ねても美と健康を保つには「土台づくり」と「巡らせる」ことが大事です。
土台づくりには、細胞をつくる食べ物に気をつかって質のよい睡眠を。そして「運」を「動かす」と書く運動で身体を巡らせます。
野菜ソムリエや漢方養生指導士の資格を持っていますが、日頃の食事では血をつくるための鉄分が不足しがち。マスク生活になって水分の摂取量も減っているので、飲み水を考えることも重要です。
年齢に寄り添うために漢方茶をプロデュースしていますが、自分の身体の声に耳を傾けるように心掛けたいですね。
写真左:日頃からよく写経をするというアン ミカさん。香を立て、涅槃像の文鎮を置き、龍の硯で墨をする。心を静める時間なのだそう。
右:漢方養生指導士の資格を持つアン ミカさんは、SNSでも養生法を発信しています。さらに自身で和漢茶「キレイ創巡茶」もプロデュース。いつも持ち歩いているのだとか。「キレイ創巡茶」についてはプレゼントページをチェック!
今私が思う幸せとは、感謝の多い人生のこと。成長欲とか出世欲とか、欲は原動力にもなるけれど、手に入らないとストレスになるんですよね。でも、すでにあるものに目を向けて感謝ができると、ストレスは軽減されると感じます。
だから私は毎日家を出るときに、「元気に朝を迎えることができてありがとうございます、今日一日会う人が笑顔になりますように」と願います。
感謝一つで、物の見え方が変わるんです。日常では、すみませんやごめんなさいと言いがちですが、感謝の言葉のほうが素敵。だから私は、ありがとうをたくさん言うようにしています。
そして、幸せの価値観は自分が決めるもの。つらい気持ちになったときもポジティブさを持てるほうが、より自分を大事にして生きられると思います。
人は生理現象も含めて、一日約3000回~6万回のチョイスをするといわれているんです。
朝起きて歯を磨こうと思ったのか、カーテンを開けようと思ったのか。その一つひとつのチョイスをポジティブにしていけば、1分後も1時間後も幸せになっていくはずです。
\アン ミカさんが舞台に出演します/
ミュージカル「シンデレラストーリー」
日程 |
9月6日~19日(東京公演) |
会場 |
東京・日本青年館ホール他 詳細は公式HPにて |
URL |
https://www.cinderellastory2022.com/ |
アン ミカさん
あん みか●1972年生まれ。モデル、タレント。韓国観光名誉広報大使。テレビやラジオ、講演会など幅広く活躍する。著書に『アン ミカ流 ポジティブ脳の作り方 365日毎日幸せに過ごすために』(宝島社)他。今年も自身プロデュース、アン ミカの『ポジティブ手帳2023』を9月29日発売予定。